京都地方裁判所 昭和53年(ヨ)562号 判決 1978年12月14日
昭和五三年(ヨ)第三〇三号、同第五六二号事件申請人
大谷光暢
右訴訟代理人
井上隆晴
外二名
同第四九九号事件申請人
中山理々
前同事件申請人
橿原信曉
前同事件申請人
大村形策
前同事件申請人三名訴訟代理人
鍛治良道
外三名
同第三〇三号、同第四九九号事件被申請人
竹内良恵
右訴訟代理人
表権七
外四名
同第五六二号、同第四九九号事件被申請人
真宗大谷派
右被申請人特別代理人
植松繁一
主文
申請人らにおいて合同で、被申請人竹内良恵に対し金一〇〇万円の、被申請人真宗大谷派に対し金五〇〇万円の、保証をすべて立てることを条件として次のとおり命ずる。
一 被申請人竹内良恵は宗教法人真宗大谷派代表役員の職務を執行してはならない。
二 被申請人真宗大谷派は、被申請人竹内良恵をして宗教法人真宗大谷派代表役員の職務を執行させてはならない。
三 申請人らのその余の申請を却下する。
四 訴訟費用はこれを四分し、その一を申請人らの負担とし、その余を被申請人らの負担とする。
事実《省略》
理由
第一被保全権利と当事者適格
一(管長、代表役員の地位)
申請の趣旨から明らかなとおり、申請人らは被申請人らに対し宗教法人である真宗大谷派(以下「法人大谷派」という)における代表役員の職務の執行禁止を求めると共に、管長について、後に判示する管長をめぐる宗憲、派規則上の規定との関係からして、法人大谷派における職務及び代表役員の地位の前提的地位である同法人の母体たる宗教団体(宗教法人法一、二条に定め、宗憲一条で「宗門」と呼ばれる)真宗大谷派(以下「宗門大谷派」という)における管長の職務の執行禁止を求めるものと解される。そして、本件は仮の地位を定める仮処分申請であるから被保全権利として法律上の争訟たる本案訴訟にたえうる法律上の権利若くは権利関係に関する争いの現存が要求され、法人大谷派の代表役員の地位がこれに当ることは後記のとおり明らかである。そこで管長の地位が法律上の権利若くは権利関係に当るか否かにつきまず検討する。
1 (事実関係)
<証拠>並びに弁論の全趣旨を総合すれば以下の事実が一応認められる。
(一) (宗門及び法人大谷派の法制)
法人大谷派は、宗祖親鸞聖人の立教開宗の本旨に基いて、教養をひろめ、儀式行事を行い、僧侶及び門徒を教化育成し、社会の教化を図り、寺院及び教会を包括し、その他宗門の目的を達成するための財務その他の業務及び事業を運営することを目的として設立された宗教法人法(以下「法」という)上の宗教法人であり、法により制定を義務づけられた昭和二七年四月一〇日制定の派規則を有し、宗門大谷派は団体内部規範として宗憲(同二一年九月二四日制定)をはじめとする多数の条例等を有しており、その内派規則、宗憲が宗門大谷派の基本法規として位置づけられている。
(二) (管長職の変遷)
宗門大谷派に宗憲規定の「管長」(一五条)に当る職が置かれたのは明治初年からで、同一九年の宗制寺法において、管長は師主即ち法主たる本山本願寺の住職が相承する旨定められここにいわゆる三位一体が法制化され、昭和一六年の宗教団体法施行に伴い、制定された宗制でもこれが引継がれ、管長は法主と称し、本派を統理し之を代表する旨定められ(宗制二三条)、ついで宗教法人令に基き制定され昭和二一年一〇月二〇日施行された現行宗憲において始めて法主管長職別置制となり、「主管者」一人をおき同人が本派を主管し代表する旨(一五条)定められ、昭和二六年六月改正で、右「主管者」の呼称が「管長」に改められた。なお、右管長職は、その設置以前から宗祖親鸞聖人の血統に属する大谷派の嫡男戸主が世襲していた本山本願寺住職により法主の地位と共に兼ねられて来た。
(三) (宗憲に定める管長、その他の機関)
その効力に争いがある昭和五二年五月二七日改正前の宗憲では最も重要な機関として管長を置いているが管長は宗門大谷派を主管し代表するものとされ(一五条)、また、宗議会の推挙によつて、宗務総長を任命する権限を有し(一八条)、その他内局の補佐と同意によつて(1)宗憲改正及び条例を公布すること。(2)宗達を発すること。(3)宗議会を招集し、その開会、閉会、会期の延長、停会及び解散を命ずること。(4)門徒評議員会の招集を行うこと。(5)宗憲又は条例の定める宗務役員その他の任免及び進退を行うこと。(6)寺院及び教会の設立または解散を承認すること。(7)寺院規則及び教会規則の制定並びに変更を承認すること。(8)教師及び住職又は教会主管者の任免を行うこと。(9)学階を授与すること。(10)褒賞、懲戒に処せられた者の減免及び復権を行うこと等の宗務を行うものとされ(一九条)、また宗議会で可決した条例に対しても公布期間内に理由を付して宗議会に返付し、その再議を求めることができるとも定められている(三二条四項)。他方、同宗門において浄土真宗の法統を伝承するものを師主とし、師主は法主と称し、本山本願寺住職があたり(一一条)、法主は広く人心を教化し、宗憲安心の正否を判じ(一二条)、重要な儀式を行い、本尊、名号、影像及び法名を授与する(一四条)ものとされている。なお宗憲には「代表役員」記載を用いた規定はないが、機関として明示された内局の外、宗議会、門徒評議員会等が派規則におけるのと同内容の権限を有する機関として定められている(四二条、三一ないし三三条、一〇七条)。
(四) (派規則に定める代表役員その他の機関)
被申請人法人大谷派には派規則によつて法に基く法人管理機関として、代表役員及び責任役員がおかれ(五条、六条)、代表役員は宗憲により管長の職にある者があてられ同派を代表しその事務を総理するものとされ(五条)、責任役員は右代表役員を含め七人とされその過半数で法人事務を決定するものとされ(六条)この外法上の任意機関(法一二条一項六号)に当るものとして、「管長」を補佐して法人の事務その他の宗務を行う内局(派規則一二条二項)宗憲、条例、及び派規則の制定及び改廃、予算その他の事項を議決し、決算を審査する宗議会(同一五条)、宗議会に先立つて、宗憲及び派規則中の財務及び門徒に関する規定の変更並びに条例及び予算を議決し、決算を審査する門徒評議員会(同二〇条)その他の機関が置かれている。なお右規則には前記一二条の記載以外にも、一三条で内局の構成員である参務の任命権者につき、二五、二六条で寺院等の設立、法人化、重要財産処分、規則の変更等に対する承認権者につき夫々「管長」記載を用いて定められている。
(五) (関係者の管長職観)
宗憲、規則上の管長に関する規定は前記のとおりであるがその地位、権限につき、管長、法主側と嶺藤を宗務総長とする内局側とでその理解の仕方に大差があり、双方本件でのこの点に関する主張どおりの理解をなし、嶺藤らは管長の地位について実質的決定権限を内局に委譲した宗門に対する無答責な権力をもたない象徴的権威の座と理解している。
2 (宗教法人法と管長職の変様)
宗教法人法は、本来、宗教団体(法一、二条)が宗教活動を十全に遂行できるようにその物的基盤を確立するため法人格を与えることを目的とするもので、このため宗教活動面を法律上の規律対象外とし、同団体の残余の活動面である世俗的側面すなわち財産的及び団体組織管理面のみを規律対象とし、右世俗的活動面の最低限の組織活動方式(法三条)に関する規則制定と所轄庁の認証を義務付け(二章)、この義務要件をみたすもののみに法人格付与等の保障をなそうとするものである。そしてその権限行使の方法は各宗教団体の特殊性に応じ任意に制限規定しうるとしても、代表役員が唯一の代表機関、かつ執行機関であること(責任役員集団が法人事務決定機関(補助的執行機関をかねることは差つかえない)であること)は動かしえない宗教法人となるための制約であると解すべきである。叙上のところと、前項認定の事実関係を併せて検討すると、宗門大谷派における管長、代表役員の関係は以下のとおりである。すなわち宗門大谷派は宗教法人法に基く法人格を取得するため、同法の前記の要請により宗教団体である同派の前記世俗的組織的側面に関する規定を整備し、これを規律するものとして派規則を制定したものであり、法規則制定以降は、同派の世俗的側面に関してはすべて派規則によることになり、同規則が前記法の限度内で創設した法人管理機関である代表役員がその定められるところに従つて「事務を総理する」関係になつたものというべきである。一方派規則制定以前から存在する宗憲は、宗門の信仰的基盤となる教義、儀式、宗教団体としての職能、聖職者の身分、信者の地位等を規定した宗派の根本規範であつて、この基本性格は、派規則が制定された後も変らないものではあるが、派規則が規律する同派の宗教団体としての世俗的側面についてはその効力を失うこととなり、したがつて前記認定のとおり宗憲において、従前宗教上、世俗上を通じて宗務行政全般に亘る各種重要な権限を有するとされている管長については、その権限内容の内、派規則により代表役員の権限と定められた世俗的組織的側面については、もはやこれを失い、すべて代表役員の権限となつたものとみるべきである(なお、具体的に管長のどの権限が代表役員に移つたかについては、事柄の性質上個別に決しなければならない問題である)。また、代表役員は唯一無二の機関であるから、管長が法人大谷派において代表役員と同じ個有権限をもつ地位を取得することは許されず、他方、代表役員が外部又は下部機関に権限の一部を委託若くは行使の補助をさせる方法により固有の法人代表、事務執行権を行使することは禁じられるものではないが、本件において、法人大谷派の代表役員と宗門大谷派管長の間に右委託若くは補助関係を認むべき宗憲上、派規則上の規定も見当らない。なお、前示の派規則一三条、二五条、二六条上に「管長」記載があることから管長が法人大谷派の右何らかの機関として定められているものとみるべきでないことは、派規則上では他の機関は夫々節を設けて明示して規定しているに拘らず管長については何らの規定を設けていない点、前記宗門大谷派における管長職の地位の重要性に照らし受任機関、補助機関にふさわしくない点等から明らかである(右記載は「代表役員」とすべきを管長が代表役員にあてられたため後記のよう実際上の役割変動がないために「管長」という表現をしたものと思われる)。そして、宗憲が派規則制定後も前示管長権限の内容変更につき何らの手当がなされぬまま存続して来たのは、前記認定のとおり派規則によつて代表役員と管長とが同一人となる関係から、権限の競合、抵触といつた問題を生じる余地がなく、また、特定の権限の行使が代表役員としてのそれなのか、管長としてのそれなのかは、法律上の表現の正確性の問題は別にしても、現実にそれを詮索する実益がなかつたことによるものであろう。
3 (管長の地位と被保全権利適格)
以上のとおり、宗門大谷派における管長の権利義務は、宗教団体たる同派の活動のうち、世俗面(財産的組織的面)については、法人大谷派の活動となつたために、これに及ばず、残余の同派の宗教的側面については、そのうち法主の前記権限領域(主に教義信仰生活、重要儀式等純粋な精神的内面的宗教活動とみられる)を除いた残余の側面全般に及び、しかも同側面においてこれを代表主管する(宗憲一五条)ものであるというべきである。
したがつて、「地位」とは権利義務の総体若しくは基盤と言うべきであるから、管長の地位は私法及びこれに基づく団体法規を適用して処理さるべき地位若くは法律関係とはいいがたく、他方法主のように精神的要素の高いものではないにしてもなお同じく宗教活動上の地位であつて、しかもその権威的側面に照らし宗教団体たる宗門大谷派における宗憲上法主とともに重要な地位というべきである。
そうだとすると管長の地位は本件のような仮の地位を定める仮処分において要件とされる被保全権利たる法律上の権利関係に当らず、この要件を欠くものという外ない。因みに、管長の地位確認に関する本案訴訟は叙上のところより法律上の争訟性(裁判所法三条)若くは確認の対象資格を欠くものといえよう。したがつてまた本件仮処分申請のうち、管長の地位の紛争保全のためその職務執行禁止を求める部分は不適法というべきである。
二申請人らの当事者適格
1 申請の理由2及び3については当事者間に争いがないから、申請人大谷が本件仮処分申請のうち代表役員職務執行禁止を求める部分につき当事者適格を有することは明らかである。つぎに申請人中山らについてみる。申請の理由5の(一)ないし(四)、(六)ないし(八)の事実は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、真宗大谷派の年間予算の大部分は被包括団体である約一万の末寺からの各種賦課金冥加金及び志金のほか、末寺の一〇〇〇万人といわれる門信徒(檀徒を含む)からの各種冥加金、礼金、相続講金及び志金により構成され、これにより宗派の運営が維持されていることこれらの上納金は義務的性格を有していることが一応認められる。
2 以上の事実によれば、申請人中山理々及び同橿原信暁は、真宗大谷派の僧侶及び末寺の住職として、同派との間に経済的な面においても密接なつながりがあり、同大村形策においても、檀徒として直接的には末寺の護持運営に係わり、その興隆発展に務めるものとして末寺との関係が密接ではあるが、前記上納金の納付の点や派規則第二五条では、真宗大谷派において、寺院又は教会の設立、法人となること、重要財産の処分、規則の変更、合併及び解散については、同派の代表役員の承認を必要としていることも併せ考えると、同派との間において直接の経済的及び財産法上の権利義務上のつながりを有しているものと認められる。
したがつて、以上の経済的、法律的つながりに加え申請人中山ら三名はいずれも法人大谷派の人的構成要素をなすものであり、同派の代表役員の地位の存否、その職務の執行につき法律上の利害関係を有し、結局本仮処分申請中前記部分につき当事者適格を有するものというべきである。
三代表役員の地位存否の前提問題
1 申請の理由1ないし3については当事者間に争いがないから、現行派規則上では法人大谷派の代表役員の地位の得喪はそのあてられるべき宗門大谷派管長の地位の得喪によつて当然に決まる(派規則五条一項)こととなり後者が前者の前提問題である。そしてこの前提問題につき本件両会すなわち昭和五三年二月二六日開催の宗議会及び門徒評議員会において夫々、申請人大谷管長解任被申請人竹内新管長推戴の決議がなされたことは当事者間に争いがないので以下右解任の効力につき順次検討する。
2 まず、前記のとおり管長の地位は法律上の地位ではなく宗教活動上の地位であるから、その存否自体を確認等訴訟で争うことは法律上の争訟にあたらず本来司法審査の及びえないところであるが、本件のようにそれが本来法律上の争訟である代表役員なる地位の存否の前提問題となる場合には、前提問題としての範囲限度内の判断である限り、かかる宗教活動上の地位の存否についても後記のような方法に限度があることは格別、判断をすること自体は当然なしうるものというべきである。けだし宗教的色彩関連をもつことのために一切判断できないとすれば、宗教法人法が規律対象とする宗教法人の世俗的(財産的組織管理的)法律関係でありながら司法審査を受けない領域を認めることとなり同法の立法趣旨目的に反し著るしく不当な結果となるからである。もつとも右前提問題の判断においては、憲法二〇条、法一条二項、一八条六項、八五条の趣旨から、国家がいたずらに宗教行為、宗教的伝統、規律、慣習宗教感情や宗教団体の宗教活動等宗教的側面について干渉することは許されず、また干渉する結果となることは回避さるべきであると共に他方当然のことながら法八六条の趣旨も遵守されねばならない。そうだとすると、前提問題が宗教的側面にかかわる事柄であるときは、その判断は具体的には宗教的教義や伝統信条の当否等純粋の信教内の事実に立入ることなく、客観的事実関係を対象として、団体の内部規範を含め法律上の明文規定、これがないときはその存在が明白に認められる慣習、条理に準拠してなすべきものというべきである。
ところで本件前提問題たる管長の解任決議の効力に関する争点についてみるに、解任権の存否、解任手続のあり方については、まず管長の地位等についての前記認定事実(一(一)ないし(五))及び弁論の全趣旨によれば事柄の性質上宗門大谷派の教義伝統、慣習、宗門関係者の宗教感情等宗教的側面により密接に関連することが明らかであり、しかも宗憲等内部規範に明文の規定がない(この点当事者間に争いがない)ため、重要な争点となる準拠すべき慣習条理の存否につき双方の主張が鋭く対立し、宗門大谷派における前記宗教的側面に関する広範囲な主張立証が展開されているところであり、反面かかる解任権等をめぐる問題は本来宗門大谷派の宗教団体としてのあり方にかかわる根本問題であつて、それゆえにこそ団体内部の自律的選択により法律的紛争にかかわるような疑義を一切生じないように自律的処理をなすべきものといえる。したがつて右の諸点にかんがみ、かつ、後記のとおり他により判断の容易な争点が存しこれに対する判断によつても管長の地位の存否が判断しうる本件においては、解任権の存否という決議内容に関する瑕疵の判断はひとまずおき本件決議の手続に関する瑕疵につき判示を進めることとする。
四代表役員の地位の存否(管長解任決議の効力)
被申請人らは申請人大谷の解任には推戴条例所定の宗議会門徒評議員会双方の適法な決議を要するというのであるから、まずその内本件門徒評議員会の決議手続の瑕疵の存否につき以下検討する。
1 (本件門徒評議員会の事実経過)
<証拠>を総合すれば本件門徒評議員会の状況及びその関連する経過事実は以下のとおりであることが一応認められ、この認定を覆すに足る疎明はない。
(一) 本件門徒評議員会は宗務総長嶺藤が昭和五三年三月一五日付告達一号により新管長候補者名の明示のない議案「現管長解任並びに新管長推戴の件」として招集し、同日付門徒評議員に対する同議案表示の招集通知により同月二六日午前一〇時三〇分より真宗大谷派宗務所三階議場において開催された。まず内局である事務局員から現実の出席者一一四名、委任状提出者一〇三名合計二一七名で門徒評議員(以下議員という)総数二八六名の四分の三以上の出席となる旨報告があり、仮議長能邨英士に一任した形で議長に京都教区の議員松島七兵衛が議長補佐に大阪教区の岩田宗次郎(以下議長補佐という)が指名選出され、議事録署名委員の指名の後、議事に入つた。まず嶺藤が宗務総長として提案理由につき、既に会の趣旨は書面で通知済として簡単に現管長では宗門正常化が期しがたいので新管長の推戴を求める旨説明し、議長補佐より議事方法をはかつたところ、まず熊本教区の後藤広から新管長の選任によつてその前提事項である現管長の解任は当然決定されるゆえに後者の審議を省略し直ちに新管長の選出のみをなすべき管長候補者に被申請人竹内を推す旨の動議が出され、ついで久留米教区野上堅五郎が管長推戴会議における委任状出席の許否管長解任の可否の疑議と管長解任自体に対する反対意見をのべ日豊教区工藤修照が反論したが、議長補佐はこの程度で審議を打切り右疑義二点に関し本議会の適否の採決を求め、挙手により賛成多数と認め、さらに管長解任の決議について本会は昭和五二年の門徒評議員会で行つた管長推戴取消の決議を実行に移す会議であるとして、その賛否をとり挙手により賛成多数と認めた。ここで事務局員から現実出席者一三五名委任状提出者一〇二名合計二三七名とする出席者数の訂正があつた後、議長補佐は後藤議員の動議を拍手による賛成多数と認めて採択し、引き継き審議をしないまま直ちに被申請人竹内が管長候補者として適任か否かの採決に入つたところ、同補佐は、右採決に際し、反対者を起立させてこれと同人ら所持の委任状数の合計数を確認したのみで、右合計数を反対者数としてこれを前記総出席者数から差引き、残数全員賛成者とみなし、賛成者の数を直接確認することはしなかつた。そして事務局長が右反対者の氏名と数を確認中に新管長の氏名不明確との質問に対し議長補佐よりその氏名の再告知があり、推選者前記後藤より簡単な人物説明がなされ、ついで議事録署名委員山口が欠席らしいため福田長夫とする訂正があつた後採決の結果が報告され、いつたんは賛成者二〇六名、反対者三一名と報告されたが改めて賛成者二二五名、反対者三一名と報告された。会議終了後無効な委任状五通が発見されたため、事務局作成の議事録にはこれを除いた数字で賛成者二二一名、反対者三〇名と記載された。なお、本件門徒評議員会には嶺藤が昭和五一年五月二五日付の京都地方裁判所同年(ヨ)第三一四号仮処分決定、同五二年六月二日付右同(ヨ)第五二四号仮処分決定(いずれも同年九月一日付判決で認可されている)により、夫々管長代務者としての職務の執行を停止されていたにもかかわらず右決定を無視して管長代務者として選任した議員も議決に加わつていた。また議長補佐が言及した前年度の門徒評議員会の決議は、嶺藤が管長代務者の資格で推戴条例によらずに招集した通常の門徒評議員会であつて前記仮処分違反の招集として成立を争われたなかで「解任」ではなく「現管長に辞任していただく件」として可決されたが本件同様反対者数のみを確認して賛成者数を逆算したものであつた。
(二) つぎに本会に提出された委任状は「昭和五三年三月二六日開催の門徒評議員に提出の議案件に関する事項の一切の権限を代理人殿に委任します。」旨の文言からなる白紙委任状の形式のもので、しかも委任者において特別に指名しないときは門徒評議員でない宗務総長嶺藤を代理人とする事の了承を求めた記載ある宗務当局が予め印刷して作成したものであつた。
2 以上認定の事実関係において申請人ら主張の手続上の瑕疵のうち、委任状出席及び決議方法の二点につき順次検討する。
(一) (委任状出席について)
まず、<証拠>によれば門評会条例は昭和二一年一〇月二〇日、推戴条例は同二二年四月一〇日各制定され、門評会条例四条は「門徒評議員会は評議員五分の一以上が出席しなければ議事を開くことができない。但し、委任状をもつて出席と看做することができる。」(この文言には争いない)と、推戴条例二条は「管長の推戴は、宗務総長の提案によつて、両会で各別にその候補者を決定する。前項の議事は、議員又は評議員の四分の三以上の出席した会議で四分の三以上の多数を以つてこれを決めなければならない。」と各定められ、推戴条例には委任状出席を認める規定がないところ、門評会条例四条が通常の門徒評議員会に関するものであり、その但書形式より、これは例外的措置を定めたものと解すべきで、管長候補者決定のため定足数及び可決の要件を定める推戴条例二条二項が門評会条例の後に制定されながら委任状規定をおかなかつたのは被申請人ら主張のように、この点については既に施行中の門徒評議員会条例に委ねたと解すべきではなく、むしろ委任状出席を認めず現実の出席を要求するものと解すべきことが条理上明らかというべきである。けだし、実質的にみて、通常の門徒評議員会と管長推戴会議とを対比すれば、その目的においては前者は財務及び門徒に関する条例案並びに予算案の議決や決算の審査であるに比し後者は前記のとおりの重要な地位をもつ宗派の長ともいうべき管長を選出するためであり、また会議成立の定足数においても前者は五分の一で足るに比し後者では四分の三が要求されている点からして、宗門大谷派においてその決議のもつ意味が両者では質的に全く異なり、前者より後者の方がはるかに重大であると考えるべきことは条理上当然であるからである。のみならず、他方、委任状による出席制度は特段の規定がない以上現実の出席者がいかに少数のときでも会議が成立し、推戴会議には宗議会の再議決のような制度もないからごく少数人により実質的討議を経ないまま決議をなすことにもなりかねず、それでは管長推戴という事柄の性質に照らしふさわしくはないからである。なお被申請人らは門徒評議員の職業と配置から現実出席要求な無理と主張するが、<証拠>によれば最近では通常の門徒評議員会においてさえ通常一〇〇名ほどの出席者があることが一応認められる点と前記宗門における管長推戴会議のもつ意味の重大性及びそれが度々開かれるものではない点に照らし現実の出席要求は何ら不都合なく、むしろ管長推戴の性質にふさわしいというべきであるから理由がない。のみならず、また前記認定のように本件委任状は管長候補者の名前も知らされないままの状態でしかも本来議決権を有しない議案提出者である宗務総長に対し、しかも内容白紙の委任をも許容するものである点からみてもその有効性に疑義多く少くとも管長推戴会議における委任状としては許されるべきものではない。
そうだとすると、管長推戴会議においては委任状による出席が認められないことは明白な条理であり、本件門徒評議員会は委任状出席者を除くと所定の四分の三以上の出席がないことになり、委任状出席者を含めた本件門徒評議員会の決議は明白かつ重大な瑕疵があるというべきである。
(二) (決議方法について)
管長候補者の決定決議には前記のように出席者の四分の三以上の多数の賛成を要するが、本件門徒評議員会においては、議長補佐が反対者数のみを確認し、賛成者数を現実に確認せず、出席者総数より右反対者数を差引いた数を賛成者とみなしたことは前認定のとおりであるところ、かかる賛成者数を確認しない方法による決議は特段の事情のない限り可決に必要な賛成者数の具備が不明に帰し重大な瑕疵があり無効という外ない。けだし、決議に要求されるのは賛成者の数であるから、賛成者が可決に必要な数をこえるときはあえて反対者数を確認するには及ばないだけであるところ、反対者数のみの確認方法では当該議案に対し賛否留保をなし或いは棄権する者の数を把握しえないからである。したがつて右反対の表決者以外の出席者(及び委任状で出席扱いされる者)すべてが賛成の表決をなしたことを断定すべき特段の事情のない限り、結局可決に必要な賛成者数不明という重大な瑕疵を免れないところ、本件においてはかかる特段の事情の存在を認めるべき疏明は一切なく、むしろ<証拠>よれば管長候補者竹内良恵については前日に名前が上がつたもので、議長補佐岩田ですら面識がなく、一般の門徒評議員に至つてはその殆んどが知らないような人物であるにもかかわらず、議場における竹内良恵の経歴等の紹介は不十分でしかなく、騒然とした議場では解任反対派の発言が一部封じられ、十分な議論がなされないまま決議が行われ、事務局員は出席者数につき議決後で異なる数を発表し、議決結果についてすら訂正するほどの混乱ぶりであり、門徒評議員として決議に加わつた西脇孝一においては賛否保留の者が三、四〇名はいたのではないかとの印象を抱いたことが一応認められ、これに前認定の反対者確認時の状況を総合すれば賛否保留の者がかなりの数存在していたことが一応推認されるというべきである。結局のところ本件決議の賛成者数は不明というほかない。なお被申請人らは、賛成者の確認方法につき、唯一人として異議を述べなかつたから、本件決議に賛否保留の者は存しなかつたと主張するが、本来異議のないことから前記採決方法の瑕疵が治癒するものではないことは明らかであるのみならず、賛否保留の者が必ず異議を述べるとは限らないから、その理由のないことは明らかである。
そうだとすると本件管長候補者決定のうちに現代谷管長解任決議が含まれるとしても、可決のために必要な賛成者数不明という重大な瑕疵が明白であつて無効という外ない。
以上のとおりであるから申請人らのその余の瑕疵の主張につき考えるまでもなく管長大谷を解任し、被申請人竹内を新管長に推戴した管長推戴会議の決議は少くとも門徒評議員会につき無効であるからその要件に欠け結局無効というべく、依然として申請人大谷光暢が宗門大谷派の管長、したがつて申請人法人大谷派の代表役員の地位にあるというべきであり、被申請人竹内良恵はそれらの地位になく、管長、代表役員の職務を執行しうる立場にはない。
第二保全の必要性について
<証拠>及び弁論の全趣旨によれば、被申請人竹内は、管長代表役員の地位にあるとして、宗議会を招集し、嶺藤亮を宗務総長に任命するなどの行為(なお、これらの行為は管長名義のみでなくても世俗的財産的価値を持つ限り、管長ではなく代表役員として事務総理権を行使するものに他ならない。)を行つていることが認められ、このことよりすると、被申請人竹内は代表役員として今後も内外の職務を行なつていくことが予測される。したがつて現に被申請人法人大谷派においては二人の代表役員が相対立して権限を行使する現象が存し、対外的にも、対内的にも更に一層の収拾し難い状況に発展しうる混乱が現に存しそれによつて生ずる損害は申請人らが将来の本案訴訟における勝訴判決によつても回復しがたい現在の著しい損害というべきである。したがつて申請人大谷の被申請人大谷派における代表役員の地位は仮の地位を定める仮処分により保全する必要がある。
第三結論
以上の次第で申請人らの本件仮処分申請は被保全権利につき被申請人法人大谷派の代表役員たる地位に限り、その存在と保全の必要性が疏明され、これにつき申請人らはいずれも当事者適格を有するものというべきである。そこで右被保全権利と必要性の限度でその目的を達すべき仮処分命令の内容につきみるに申請人らの被申請人各自に対し求める命令はいずれも被申請人竹内の法人大谷派における代表役員としての職務執行の禁止を求める限度において理由があり、その余は理由がない。<以下、省略>
(杉本昭一 千葉勝美 松本芳希)